赤すぐみんなの体験記


迷いながら続けていた不妊治療をいったん終了!そこから学び得たものとは

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「変わったことはないか」

気付いたら、それすら聞かれなくなっていた。結婚してはや5年だった。

私も当たり前のように「変わったこと」はすぐ起きると思っていたから、結婚を機に、順調だった仕事も辞めた。

不規則な勤務時間で働く主人と行き違いの生活にならないように、新天地でもアルバイトを週に数日だけにして、夫婦で過ごす時間を大切にしてきたつもりだった。

それもこれも、コウノトリに「変わったこと」を早く運んできてもらうためだった。

結婚2 年目を過ぎ、30歳を過ぎたとき、先に焦りを感じたのは私だった。

周りに不妊治療をしている友人が何人もいたし、早く手を打つに越したことはないと、主人に「検査だけでも」と持ちかけた。

その結果、私には卵管狭窄症、主人には精子欠乏性の疑いが、あることが分かった。

私は、ショックでしばらく病院に行けなかった。

 

ようやく通院を決意し、卵管を広げる通水治療を受けたのだが、その治療は後にも先にも一度きりだった。

先生がいうには、元々狭くなっていなかったのか、卵管造影検査のおかげかわからないが、今は通りがいいので通水治療は必要ないとのことだった。

主人は、検査の日、連続夜勤を終え、寝ずに採精したから結果が悪かっただけだと言って再検査をしようとしなかった。

もちろん担当した検査技師にも同じようなことを言われていたし、本人が前向きなのに、余計なことを言いたくなくて、主人から言い出すまで待つことにした。

その約1年後、やはり問題はなかったということが明らかになる。

 

ただ、その1年の間、私はタイミング療法のため、1人で通院することに。

先生から「悪いとこないのにどうしてかしらねぇ」、「ご主人に早く再検査してもらいなさない」、「もう30歳過ぎてるし人工授精したら?」と言われ、どんどん気が滅入っていった。

先生は間違ってない。子どもを授けるのが仕事なのだから…。

でも、その言葉は焦るつもりのなかった私たちに、寄り沿ってくれるものではなかった。

「そんなに急かされないといけないのかな」、「悪いところがないのに、どうしてと言われてもこっちが聞きたいくらいなのに…」と、不満だけが募っていった。

 

実際は、2人とも異常がなかったのに、検査をすることであらぬ疑いだけがかけられた。

通院することで気持ちだけが追い詰められ、夫婦間が返ってぎくしゃくした感じに。

それで、2人で話し合い、1年後通院をやめてみることにした。

 

 

でもわかったことが1つあった。

検査をしたあの時は、主人の気持ちがそこまでではなかったということ。

私に合わせて検査を受けてくれたけれど、まだあの時は、気持ちの準備が十分できていなかったんだと思う。

だから、次に病院へ行く時は、主人から言い出した時と決めていた。

 

もちろん、私も覚悟が足りなかった。それまで遠くに感じていた人工授精体外受精というものが、急に近づいてきて、知識もないまま不安になったんだと思う。

でも、何よりつらかったのは、原因がわからないことだった。

 

病院でも家でも、できることは、排卵のタイミングを見ることだけだった。

注射でも、薬でも、できることがあればいいのにとさえ思った。

原因不明不妊ならば、

「何をしても意味がないのではないか」

「このまま一生子どもができないのではないか」

そういうことも覚悟しなければいけないと、思うようになっていた。

 

そんな気持ちを抱えたままで、誰かに話を聞いてもらいたくてしょうがなかったけれど、内容もデリケートなだけに、あまり人には相談できなかった。

「変わったことはないか」と毎回電話口で聞いてくる父にも、「甘いもの取りすぎると妊娠しずらくなるらしいわよ」という母にも、期待に応えられない後ろめたさと、そっとしておいてほしいのにという苛立ちと、そんな気持ちから帰省したくなくなった。

 

未婚の友達には、「結婚できただけいいじゃない」と言われ、既婚の友達には、「そんなに気にしなくてもいつかできるよ」と言われた。

不妊治療をしていた友達は、できずに諦めるか、できてすっかり連絡が途絶えるかのどちらかだった。

どちらにしても、こちらから連絡を取るのは、気が引けた。

何を言えばいいかわからないし、最初は聞いてもらいたかったはずなのに、いつの間にか誰にも話したくなくなっていた。

 

唯一、ストレス発散できたのも、夫婦2人の時間だった。

「いつか子どもができたときのために、2人で今しかできないことをしよう」と、遠出のドライブや旅行に行った。

それを続けるうちに「子どもがいなくても、この人とだったら楽しいかも」と思えて、「子ども」に捉われずにいられる気がしたからだ。

 

そして、結婚して5年たった頃、主人が妊活雑誌を買って来た。

ようやく2人の気持ちが揃った。

主人も、私に気を遣ってなかなか言い出せなかったらしいが、5年という時間に、そろそろ本腰を上げたようだった。

今度は2人とも不妊治療のその先を見据えて、覚悟して取り組むこともお互い、確かめ合っていた。

この間にある程度の知識も身付けていたからだ。

それで、今までで一番落ち着いて新しい病院へ通い始めることができた。

 

ベテランのおじいちゃん先生の見解もまた2人とも異常なしだった。

それもきちんとした根拠に基づくもので、信頼できた。

何より、不妊期間が長いにもかかわらず、「焦らず気長に行こう」と言ってくれたことが嬉しかった。

かけてくれる言葉の端々から、先生の優しさも感じた。この先生になら身を委ねられると思えたことが心のよりどころになった。

 

 

それから約半年後、私と主人は、2人で選んだ産院で同じモニターを見つめている。

通院を続け、初めての人工授精が見事、実を結んだのだ。

結局はっきりとした原因もわからなかったし、何がよかったのかもわからない。

主人は「人工授精のおかげとも限らない。だって2人共そもそも悪いとこなかったんだから。」といつものように前向き。

人の形をした影が、手のようなものと、足のようなものを必死に動かしているように見える。

「動いてる…」

胸があったかいものでいっぱいになる。

「動いてる…動いてる…」

二人共呆然と見てるだけ。でもそれだけで十分だった。

 

妊娠を初めて確認したとき、ちっちゃい黒い点だったあなたを見たときは、ママ1人だった。

この日は初めてパパが診察室に入って2人だった。

だから、今は、その時より人間らしくなったあなたを2人で見ている。

「お腹の中でちゃんと育ってくれてるんだ。どこにもいかずここにいてくれてるんだ」って思ったら、嬉しくて嬉しくて。

パパと、あなたが頑張って生きている姿を一緒に見られたからかな。

今日のほうがなぜだか嬉しい。

パパも同じ気持ちだったみたいだよ。「あの時人生で一番感動した」って。

 

著者:ぴよ

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