ゼクシィBaby みんなの体験記


世界が変わった日

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静かに雪が降る日のこと。

仕事中、里帰り先の妻から陣痛が始まったと連絡があった。いよいよかと思い、時計に目をやると午前11時。視線をそのまま上司に移すと、いつものように退屈そうにPC画面を眺めていた。

おもむろに立ち上がり、上司の前に立った。

『そろそろ生まれそうなので、すみませんが今日は帰りたいのですが。』

『そう、がんばってきてね』と人の良さそうな笑顔を浮かべる。少子化で男女共同参画で男性育児参加とかの時代、そう答えることが上司にとってベストだったのだろう。いつもの事なかれ主義である。

 

歳の離れた先輩にも報告し、残りの仕事をお願いした。いつも仕事や家庭生活のコツを教えてくれる良い人だ。

満面の笑みで送り出してくれたので、また妻の地元の銘菓を買ってこようと思った。

大声で電話とって、勢いよく上司に報告して、慌てて飛び出していく、そういうのを想像していたけれど、ドラマの話だよなと思いつつ、現実は落ち着いて帰り支度をしていた。

 

外に出ると寒かった。でも、ワクワクした気持ちで胸は暖かかった。

妻の入院している病院は、ここから普通列車で4時間、特急を使えば3時間だ。しかし、今まで特急を使ったことはない。1500円ほど+だからだ。

今日は特別だと思って、まい泉のカツサンドと共に特急に乗り込んだ。これにビールが追加されると最高だが、今日はお休みである。

がんばってる妻を早く励ましたいと焦りながらも、 徐々に田園風景が広がっていくことで、少しずつでも近づいている安心感が得られた。

 

その景色を眺めながら、色々と考えた。

昔は電車で騒ぐ子どもが嫌だったなぁ、パパの実感ないなぁ、思いやりある子どもに育てたいなぁ。

緊張と手持ち無沙汰なのもあって、あとは子どもの姓名判断、生年月日占いに熱中してしまった。そんなうちにあっという間に目的の駅に着いていた。

 

駅では妻の両親が待っていてくれた。わざわざ迎えに来てくれてありがたかった。いつも気をつかってくれる優しい人たちである。

15時頃に妻の病室に着くと、ピンク色のパジャマを着て木馬みたいなみたいなものに座っていた。

自分が来て嬉しかったのか、心配させないようにしたのか、笑顔だったので安心した。

でも、痛い?と聞いたら痛いと答えた。普段はなるべく心配をかけないように、疲れても痛くてもあまり表に出さないのに。

 

今朝、陣痛が始まってからずっとがんばっていたんだと思うと抱きしめたくなった。

ピンクの服で両親の前で木馬に乗っている姿は、まるで子どもみたいでおかしかった。

これからこの妻が母親になることも、自分が父親になることも、なんだか実感が湧かず、まだまだ遠い先のことのように感じた。

こんなにすぐそこまできているのに。

17時になって妻の両親は帰宅した。

自分用のご飯やお菓子、飲み物を置いていってくれた。

自分は落ち着いているつもりだったが、夕飯をどうするかは全然考えていなかったので、気が張り詰めていたことに気付かされた。

 

それから陣痛は徐々に強くなっていき、妻は夕飯をほとんど食べられなかった。

かなり陣痛が強くなってきたようで、背中をさするように妻に言われた。

肩が凝っても、自分からもんでと言わない我慢強い妻がこう言うのは、よっぽど痛いんだろう。

定期的に看護師が診察で部屋に訪れるが、その度に自分は廊下に出される。しかし看護士は涼しい顔をしながらナースセンターに帰っていく。

どうやらまだのようだ。

 

そのとき窓から外の様子を見ると雪が強くなっていた。中も外も普段とは全く違う状況で、なんだか異次元に迷い込んだような気がしていた。

20時。分娩室に運ばれた。いよいよ産まれる!

と呑気に思っていたが、陣痛が強くなるばかりで看護師の涼しげな様子に変化はない。

このときから、背中をさするだけでなくテニスボールを妻のお尻に押し当てていた。

陣痛のたびにいきみたくなるが、いきむと母体にも子どもにも負担がかかる。そこで、テニスボールを押し当てると少し気がまぎれるらしい。

『押してーー』と定期的な妻の号令で、全力でテニスボールをお尻に押し当てる。これはなかなかハード。しかも、押す所が悪かったり力が弱かったりすると怒られる。でも、妻のほうが何万倍もつらいんだから、これくらい全然大丈夫だった。

続けること4時間。ついに日付が変わった。

子どもの誕生日は16日になるんだと思いながら、号令に合わせてテニスボールを押し当てていた。

 

無機質な分娩室に流れる時間は、とてつもなくゆっくりで、終わりのみえないトンネルを進むような気分だった。

あんなに辛抱強い妻も、限界にきていた。

『もう無理!お願い!お腹切って取り出して!!』何度も言っていた。

 

それからさらに2時間後。妻はとっくに限界を超えていた。それでもギリギリのところで必死に陣痛と闘っていた。妻は這いつくばりながらトイレに行き、自分も後ろから這いつくばりながらテニスボールを押し当てる。

このときには手首は感覚がなくなっていた。もう手首に力が入らない。正直、もう逃げ出したかった。こんなの聞いてないよと思った。

自分自身の甘さ、ずるさが見えてしまった。

 

でも、ここで逃げ出したらろくな父親になれない。自分がつらくても、妻の痛みが和らぐなら、子どもの負担が減るなら、手がどうでもいいじゃないか。という気持ちもあった。

そんな感情のはざまで、涙を流しながらテニスボールを押し当て続けた。きっと試されていたんだと思う。父親になる資格があるかどうか。

 

3時半過ぎ、診察のために廊下に出された。このときは何もできないので、本当に自分は無力だと感じた。この瞬間も妻はがんばり続けていると思うと、ただ震えながら祈るしかなかった。

しばらくすると帽子とマスクとエプロンを着けて分娩室に入るように言われた。特に説明がなかったので、とても緊張した。

入ると、医師と看護士3名がスタンバイしていて、いよいよだということが分かった。

 

医師は院長先生だった。この先生は29年前に妻を取り上げてくれた先生。現在は高齢で夜勤はやらないが、この日はたまたま当番だったらしい。運命を感じた。

いきむ段階になって、院長先生が自分に妻の肩を抑えるように指示した。何もできず見守るしかなかったので、協力できることが本当に嬉しかった。

院長先生、看護士、妻、自分、一体感を感じた。

 

何回かいきんだとき、股の間から頭が見えた。髪の毛が生えていた。本当にこんな小さい子がお腹の中に入ってたんだ。なぜかそう思ったのを覚えている。

そのあと、数回いきんで出てきた。午前4時5分。やっと会えた!

おちんちんの形が自分の小さい頃と瓜二つだったので、びっくりした。自分の子に間違いなかった。

 

妻は本当によくがんばった。18時間にも渡る陣痛に耐えた妻はとても立派で、誇りに思います。

その日の朝は、よく晴れて、空気が澄んで、空がとてもキレイだった。

前日の雪の解けた水が太陽の光でキラキラ輝いていたのをよく覚えている。

昨日までとは、まるで世界が変わってしまったかのように、何もかもが美しくやさしく見えた。

そして自分自身も産まれ変わった気がした。これから父親としての新しい人生がスタートするんだ。

何があっても妻と子どもを守って、大切にしていこうと誓いました。

著者:石油

酒と温泉をこよなく愛する30歳

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